毎日の食卓に、リラックスタイムに、私たちの生活におなじみの煎茶。
この煎茶の祖と呼ばれるのが、永谷宗円(ながたにそうえん)という人物です。
今回は、日本のお茶の歴史を語るうえで欠かせない永谷宗円の歴史についてご紹介します。
煎茶の生みの親「永谷宗円」って誰?
永谷宗円(ながたにそうえん)は、煎茶の生みの親と言われる人物で、1681年にお茶づくりで有名な京都府の宇治田原町に生まれました。
宇治田原の湯屋谷(ゆやだに)は、緑茶発祥の地として知られており、特に宇治茶が有名です。
永谷宗円の時代は今のような煎茶ではありませんでした。「煎じ茶(せんじちゃ)」と呼ばれ、茶の色は赤茶っぽくくすんでおり、あまり味も良くありませんでした。
そこで「もっとおいしいお茶を作れないか」と宗円が新たに作り出した製法が、「青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)」です。
この新たな製法によって、お茶の色は鮮やかな緑色になり、まろやかでおいしい味を実現できるようになりました。
永谷園と永谷宗円の意外な関係
「お茶漬け海苔」でおなじみの「永谷園」は、実は宗円の子孫である永谷嘉男(ながたによしお)が創業した会社になります。嘉男は永谷家の10代目にあたります。
嘉男の父にあたる9代目の永谷武蔵は、お茶に関する斬新なアイデアを考えるのが得意でした。煎茶に細かく刻んだ海苔や塩を加えて、お湯を注いで飲む「海苔茶」も作り出しました。
そのあと、戦争によって一時店を閉めた永谷園でしたが、嘉男が父の海苔茶をもとに考え出した「お茶漬け海苔」によって風向きが変わります。
お茶漬け海苔は1952年に初めて商品化されました。お湯を注ぐだけですぐ食べられて満腹になるお茶漬けは人気を博し、紆余曲折を経てロングセラー商品となりました。
日本茶の歴史
では日本茶はいつから飲まれていたのでしょうか?
もともとお茶は、中国で飲み物として普及していました。
そのお茶が日本に伝わったのは、奈良時代~平安時代だと言われています。
このころ、日本から唐(当時の中国)に派遣されていた空海(くうかい)や最澄(さいちょう)などの遣唐使が、唐からお茶の文化を日本に持ち帰ってきたと伝えられています。
滋賀県の日吉大社(ひよしたいしゃ)の言い伝えをまとめた書物、「日吉社神道秘密記」には、最澄が805年に唐よりお茶を持ち帰り、比叡山(ひえいざん)のふもとに植えて栽培した記録があります。
国内に残る文献で初めてお茶に関する表記があったのは、平安時代初期に作られた史書「日本後記(にほんこうき)」です。
この書物のなかで、永忠(えいちゅう)という僧侶が、嵯峨(さが)天皇にお茶を煎じて献じたという記載があります。
しかしこれ以降、何百年も日本の文献からお茶に関する表記は見られないようです。
お茶文化が定着しなかった理由のひとつは、当時のお茶がとても高級品で、地位の高い人々しか飲めなかったからだと考えられています。
そのあと、1191年に臨済宗の開祖である栄西(えいさい)が、宋(当時の中国)からお茶の種を持ち帰り、日本で育てたと言われています。
続いて、鎌倉時代後期からお茶の栽培が国内各地に広まり、徐々にお茶文化が普及してきました。
そして江戸時代のなかばに、ついに宗円が生み出した「青製煎茶製法」の煎茶が登場します。
永谷宗円が生み出した青製煎茶製法について
前述のとおり、永谷宗円が新しいお茶の製法を考案するまで、人々は赤茶っぽく風味も良くない煎じ茶を飲んでいました。
それを今のおいしい煎茶に生まれ変わらせたのが、永谷宗円が1738年に開発した「青製煎茶製法」です。
もともとの製造方法では、茶葉を蒸すか茹でるかしてから乾燥させて仕上げていました。
そうすると茶葉に含まれるカテキンが酸化し変色して、見た目が赤茶っぽく風味も落ちた茶葉になります。
そこで、永谷宗円が新たに取り入れたのが茶葉を揉む工程でした。
今まで加熱してからすぐ乾燥させていたのを、加熱後に茶葉を揉み、そのあと乾燥させるようにしたのです。
こうすることで、カテキンは変色せずに鮮やかな緑色がキープされて風味も改善しました。
今までの煎じ茶が黒っぽかったので「黒製」と呼ばれていたのに対し、新製法のお茶は美しい緑色を表して「青製」と呼ばれるようになりました。
青製煎茶製法の普及によって、今日私たちが飲んでいるおいしい煎茶文化ができたのです。
煎茶とは?
そもそも宗円が生み出した「煎茶」とはどのようなお茶なのでしょうか?
お茶は、茶葉の発酵具合によって3つのカテゴリに分けられます。発酵していないお茶(不発酵茶)は「緑茶」、半分発酵させたものが「ウーロン茶」、発酵させたものが「紅茶」です。
煎茶は緑茶の一種です。煎茶だけではなく、玉露やほうじ茶、抹茶や番茶(ばんちゃ)などもすべて「緑茶」のカテゴリになります。
煎茶は露地(ろじ)栽培したお茶を蒸して作ります。露地栽培とは、覆いをかけずにそのまま外に出た状態の畑で育てることです。ちなみに覆いをかけて育てられたお茶は、玉露や抹茶になります。
直射日光をたっぷり浴びて育つ煎茶は、強くコクのある風味になります。
煎茶の製造工程では、まず摘採(てきさい)した生茶葉を蒸気で蒸します。
こうすることで茶葉の発酵を防いだり、美しい緑色を保ちながら青臭さを取ります。
蒸す時間が短いと、浅蒸し茶になります。浅蒸し茶の見た目は薄い緑色で、渋味のあるすっきりした風味です。
反対に長めに蒸すと、深蒸し茶になり、深く濃い緑色でコクがあるまろやかなお茶になります。
そのあと茶葉を何度ももみほぐして乾燥させ、パラパラと細かい茶葉にします。これで荒茶(あらちゃ)の完成です。
荒茶のままでは商品として販売できないため、そのあと仕上げ加工を行ってはじめて煎茶として売り出されます。
山年園が提供している煎茶について
山年園でもおいしい煎茶を販売しています。
香り高い爽やかな煎茶を、毎日の食卓やリラックスタイムにぜひ取り入れてみませんか。
とげぬき地蔵茶
山年園の店舗のすぐ近くにある、とげぬき地蔵尊の名を冠した、当社のロングセラー商品です。
飲むとしっかりと強い緑茶独自の風味を感じられ、鼻に抜けるさわやかな香りとすっきりとした渋味も特徴。
深い味のお茶が好みの方に特におすすめです。
商品名 | とげぬき地蔵茶 |
商品区分 | 飲料 |
内容量 | 【1袋あたりの内容量】 100gまたは200g |
原材料名 | 茶葉 |
原産地 | 日本[Made in Japan] 静岡県掛川市 |
使用上の注意 | 開封後はお早めに召し上がりください。 |
保存方法 | 常温保管してください。高温多湿、直射日光は避けて保管してください。 |
賞味期限 | 製造日より約12ヶ月 |
販売事業者名 | 有限会社山年園 〒170-0002 東京都豊島区巣鴨3-34-1 |
店長の一言 | 当店限定の巣鴨とげぬき地蔵茶です。 参拝茶と比べて、茎を抜いてあり、渋い味が特徴的です(^-^) |
狭山茶 さやまかおり
お茶の名産地、埼玉県の狭山(さやま)で生産されたお茶です。
「狭山茶摘み歌」のなかで「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」とうたわれているように、狭山茶は埼玉の寒い冬を乗り越えて深まった味わいが特徴です。
甘みも強くまろやかな口当たりで、どなたでもおいしくお飲みいただけます。
商品名 | 緑茶(国産) |
商品区分 | 食品・飲料 |
内容量 | 100g |
原材料名 | 緑茶(国産) |
賞味期限 | 製造日より約1年 |
保存方法 | 高温多湿を避け、移り香にご注意ください。 |
使用上の注意 | お茶は鮮度が大切です。開封後はお早めにお飲みください。 |
加工者 | 有限会社山年園 〒170-0002 東京都豊島区巣鴨3-34-1 |
店長の一言 | 実店舗で人気の狭山茶をインターネットでも販売開始しました。 老舗のお茶屋がこだわり抜いた狭山茶を是非ご賞味ください(^-^)/ |
国産 やぶ北茶
「やぶきた」は国内で栽培されるお茶の約8割を占めるお茶です。
お茶の名産地静岡のお茶研究家、杉山彦三郎によって発見され、育成されてきました。
濃厚で深い甘みに、すっきりとした香りが飲みやすい煎茶です。
商品名 | 煎茶 やぶ北茶 |
商品区分 | 飲料 |
内容量 | 【一袋あたり】100g(5g×20パック) |
原材料名 | 茶葉 |
原産地 | 静岡県 |
使用上の注意 | 開封後はお早めに召し上がりください。 |
保存方法 | 常温保管してください。高温多湿、直射日光は避けて保管してください。 |
賞味期限 | 製造日より約12ヶ月 |
販売事業者名 | 有限会社山年園 〒170-0002 東京都豊島区巣鴨3-34-1 |
店長の一言 | 老舗のお茶屋が販売する煎茶です。 他店のお茶と比べてみてください(^-^) |
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